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「小論文」狂想曲

突然ですが、よく小論文をどう書いたらいいかと相談を受けます。その際、いろいろ説明をするのですが、やはり、日本の作文教育が根本的に間違っているとしか思えない現状もあり、少しだけ触れておこうかと思います。

もう昔のことですが、大切にしていた小論文の参考書がありました。今では本の名前も忘れてしまったのですが、その最初の方にサリンジャーの小説が引用されていました。主人公のホールデン・コールフィールドと学校でスペンサー先生とのやりとりだったと思います。作品自体についてはすっかり記憶から消えているのですが、自由作文を書く課題があった時に、「自由」に書いたら退学処分になるという場面があったはず(?)です。その場面を引用していました。

この作品を引用した背景には、小論文を書くと言うことは、「小論文教育」にある根本的な問題と似ているからだと言うのです。作文は「自由」に書きなさいと小さな頃から教育される。そのおかげで、「自由」に書いたものが、小学生の時に素晴らしいと言われ、小論文もそう言うものだと考える受験生が多いと言うことなのです。

はっきり言うと、小論文は「自由」に書いたら、ダメなのです。つまり、誰に向けて書いているのか考えなければいけないと言うことなのです。自分がよく言うのは、「小論文を読むのは誰?」と言うこと。

……ズバリ「試験官」です。

もっと言えば、採点室で数多くの小論文を読む試験官の心をつかむものを書けるかどうかと言うこと。よく「ありのままを書く」受験生がいます。それは、大学の教授が求める人間像なのでしょうか? 繰り返しますが「自由」に書いてはダメなのです。

細かいことに関しては、指導していくのですが、この根本を間違えている小論文の多いこと多いこと。作文のルールを始める前にこの考え方ができていないと、いつまで経っても合格レベルの小論文にたどり着けません。

学校の先生でも、日頃の恨みをここぞとばかり、小論文で晴らす先生がいます。原稿にバツ印を書くと気持ち良いですよね。原稿で言っているところを頭から否定する。受験生がどう考えて、それを書いているか聞くことすらしない。毎年、受験生の悲劇を目にします。本当に書けないと苦しんでいる受験生の頼みで、たまに加筆すると真っ赤になって返却される時があります。受験生だけでなく、自分のプライドもズタズタです。正直言って、「あなたの作文教育がおかしい」と言ってあげたくなるのですが、もちろん心に秘めますが……。

毎年、小論文や志願理由書を書く際に、涙目になる受験生がいます。「自信を持って」と言いたくなりますが、「自由」に書かれるのも…。まだまだ、ジレンマは続きそうです。