Information,  Nexsuss,  超塾

後生畏るべし(こうせいおそるべし)

「後生畏るべし(こうせいおそるべし)」は「論語」の「子罕(しかん)」の中に書かれている言葉です。まあ、簡単に言えば、大人の考え方で見るのではなく、若者は恐れなければいけない存在で、どこまでも成長する可能性を秘めていると言うこと。

孔子は多くの弟子に囲まれる中、教育者の一面を持っていたと言います。彼が生まれたのは紀元前552年頃と言われ、イエス=キリストよりも前、中国の周時代の末期生まれています。中国の思想に影響を与えた、根幹とも言えるものです。学ぶことの大切さ、謙虚であることの必要性を唱え、彼の言葉を弟子たちがまとめた書物『論語』は成立までに約400年の歳月を要したとも伝えられています。

彼は常々、「後生畏るべし(こうせいおそるべし)」を口にしていたと言います。よくある「今の若いもんは……」ではなく、後から生まれてきたものの成長は目覚ましく、それを恐れて対応しなければいけないと言うことを心に戒めていたようです。当時としてはかなり斬新な内容だったのでは無いでしょうか。3000人もの弟子がいたとも言われる背景には、そのような人間性があったからなのだと思います。

子供は大きく成長するという可能性を持つか、持たないかでその対応は大きく変わります。もしやすると、大人はステレオタイプのものさしで子供の成長を決めてしまうことがあります。ですが、人は成長していくものです。現代の尺度で見ているものが、実は大きく違うといったこともあるものです。常々、我々も子どもの成長に対して杓子定規で見ていないか目直さなければいけないと、自戒しています。

実はこの言葉には続きがあります。

「四十五十にして聞こゆること無くんば、斯(こ)れ亦(また)畏(おそ)るるに足(た)らざるのみ。」

口語訳は「四十五十になっても何の名声も持たない人間は畏敬するにあたらない。」とでもなるのでしょうか。それでも、四十歳、五十歳になっても何の名声も無いようであってはいけないと、孔子は忠告も忘れていません。何かをなすには、それなりのリミットも必要なのだとも言っています。時代が違うとはいえ、耳が痛いです。

超塾も子どもの成長を長期的な見方を持って対応しています。「後生畏るべし(こうせいおそるべし)」を常に心に留めながら対応したいと強く思っています。