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湯川秀樹のこと

戦後、湯川秀樹さんといえば日本人初のノーベル物理学賞を受賞したのは有名で、非常に優秀ということで知られていますが、物心ついた時から面倒なことは「言わん」で済ましており、「イワンちゃん」と呼ばれていたのだそうです(wiki参照)。本人も何かに書いていたと思うのですが、中学時代は目立たなく、あだ名は「権兵衛」。あまりの無口さから父親から「何を考えているかわからん」と疎んじられ、大学進学は諦めさせ、専門学校へでもやろうかと考えられていた時期もあったと言います。

「あの湯川秀樹が…」と驚きますが、偉業をなす天才というのは何かが欠落していることが多いのも事実です。自分がなぜこの話を書いているかというと、小さい頃「あの湯川秀樹さんも小さい時はアホだったのだから」と、何度か家族や友人に励まされたことがあったからです(どういう状況で使われたか、よく覚えていないのですが…。今もご健在でしたら、謝罪しなければいけないところですよね)。諸説はありますが、湯川秀樹さんが幼い頃から無口で何を考えているかわからないというのはかなり事実に近かったようです。今も個人的になんとなく湯川秀樹さんに敬意と親近感が湧くのは、そのせいかもしれません。

ともかくも、彼は周囲の人々に恵まれ、京都帝国大学と大阪帝国大学の講師を兼務する傍ら、「中間子理論構想」を発表し、世界に認められ、ノーベル物理学賞受賞までこぎつけるのですから、運も持ち合わせていたようです。才能は一人一人違うものがあり、向き不向きは絶対にあります。周囲がどれだけ本人の意思を尊重し、支えたかと思うと計り知れないものを感じます。

周囲は一足飛びに、成果のみを見たがる傾向があります。でも、それは一部でしかありません。周囲の励ましや友人や先生との運命的な出会い、そして何よりも本人の努力が未来を作っていきます。時代の影響はありますが、偉業は一人では成し遂げることができません。可能性の芽がつまれ、不本意な道に進む人も多いです。特に、北海道では周囲にゴロゴロしています。才能のタネはいつ芽を出すかわかりません。偉業には周囲の温かい眼差しも必要だと時に思うのです。

超塾も才能の芽を出すきっかけになれればと強く思っています。